
昨日、六本木で「
ALWAYS続・三丁目の夕日」を鑑賞しました。平日ともあって、夜6時からの上映は4割程の客の入り。中段のちょうどいい席で楽しめました。
高度経済成長に足を踏み入れる昭和30年代を舞台に、堤真一の鈴木オートと吉岡秀隆の茶川家が織りなす、ハンカチ必携ハートフルストーリー、ということはよく知られています。一緒に観に行った彼女もハンカチ携帯済みでした。
実際は、私も彼女も大泣きするような事態になりませんでしたが、ぐっとくる場面はところどころありました。周りの席から涙ぐむ音も。特に、直後の席の女性は、目のまわり真っ赤でしたね。
「フラガール」もそうでしたが、ベタまっしぐらな映画です。そういうのが流行ってますし。ゲームも技巧を凝らした複雑なものよりも、ニンテンドーDSを代表するようにシンプルなものが売れてますし。
「誰もが涙する」=「ベタ」と私は考えていますし、世の中の評価も同様だと思います。
井筒監督が「フラガール」を涙ながらに観て、最後に「ベタでええやん!!」って言ったのテレビで見ましたけど、その通りですね。ベタって多くの人のツボで、多くの人は幾度となく繰り返されるあるパターンを、繰り返されていると承知の上でそれを欲し、泣き、怒り、笑い消費していくんだろうと思います。
落語だって古典は明治以前からず〜っと繰り返し演じられているわけですし、48作を数える「男はつらいよ」もどれもきまって「寅さんがマドンナに恋をして、必ずふられる」というストーリです。予想できるけど、飽きずにむしろあるパターンが繰り返されることを期待している。予定調和を楽しんでる。人間ってホントは変革や予想を裏切られるのを嫌うんですよね。←こんな考えがまさにベタですね…。
もう一つ思ったのは、年配のサラリーマンが同僚ともしくは一人で会社帰りに観にきていたことです。映画の中の昭和30年代を再現した映像はさすがにノスタルジーを掻き立てます。昭和58年生まれの私でさえなんとなく懐かしさを感じるんですから、子供時代をすごした彼らはひとしおでしょう。「続」では東京タワーが完成していました。
ただ、私を感傷的にしたのは、記憶からくるノスタルジーではなく、一種の憧れの気持ちです。
「人間」という言葉には「間」が入っています。「間(あいだ)」が生まれるにはなんであろうと複数ある必要があります。私の勝手な解釈ですが、「人間」という言葉は、自分自身と「間」をつくりえる他者の存在を暗示しているんじゃないか、その他者との関係性の中で自身の存在を芽吹かせ、確認し、解釈しつづけることがまさに人間なんだということを含んでいるんじゃないかと思います。
扉を開けっ放しにしたままで、顔を合わす誰もが知り合い。貧しいながら、寄り添い助け合って暮らしてる三丁目に人々の姿に「人間」の暮らしの理想をみて、アパートの隣人の顔も名前も思い出せない私は激しく憧憬するのでした。
もたいまさこ演じるタバコ屋のおばちゃんが抜群です。
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